押上→稲荷町→(湯島天神)→水道橋
過日11月1日の徘徊記録
15000歩,500kcal (←万歩計忘れ。推測値)
次回に続き下町エリアからスタート。新東京タワーあらため“東京スカイツリー”建設予定地墨田区押上。今年7月に安全祈願祭および起工式典を済ませ工事着工となった。さすがにまだタワーの足すら見えていない状態だが、これから「川向う」のこの地が、東京で一番ホットなエリアになっていくんだろうな、と感慨にふけ、押上通り商店街のゲートを記念に撮った。
浅草に向かう。言問橋にするか吾妻橋にするか、迷って結局、人道橋「桜橋」で台東区に入った(写真ふたつ目)。
腹が減ってきて食事処を探しながらの迷走ならぬ迷歩。言問通り西浅草3丁目交差点を南下。明治後期から大正の関東大震災までの間、この浅草の地に東京のシンボルタワーがあったことを最近勉強した。凌雲閣という。浅草十二階とも呼ばれ初めて電動式のエレベータが導入された建築物と聞く。たぶんこの辺からはその雄姿が迫るように見えたに違いない。ちなみに凌雲閣の高さが52m、東京タワーが333m、東京スカイツリーが610m。
浅草ビューホテルを過ぎて路地に入ったら、美味しそうな中華屋さん「いい田」を見つけたのでそこで昼食。こちらは別記事に。
かつての仕事場、かっぱ橋にやって来た。その当時には居なかったが、今はかっぱ河太郎(写真3)が通りを監視している。こわっ(lll゚Д゚)
河太郎に挨拶したら東上野5丁目へ。今回の散歩の目玉がそこにある。
上野下アパートである(写真4)。関東大震災の復興事業として東京に12ヵ所、横浜に2ヵ所建てられた同潤会アパートの生き残り。あと三ノ輪にも残っているのだがそちらは建て替えが決定している。今でも現役バリバリなアパートとして健在なのは上野下アパートのみと言える。
なんか凌雲閣と上野下アパート、関東大震災当時の帝都東京を偲びつつ、スカイツリーの610mを夢想する変な散歩だ。
アメ横をさらっと突っ切り湯島天神に来た。菊祭りが始まったばかり。ちょっとは菊も撮ったけれど、お面がきれいに撮れたので写真5。
最後の写真は後楽園パラシュートタワー(?正式名称知らず)ナメの東京ドームホテル。シャッターの瞬間に自転車が横切ってくれ、画が締まった。
御茶ノ水駅でゴール。
いやぁ、徘徊日和。空の蒼がきれいに撮れた。
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