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羽田第一ターミナルから歩く

2月8日のこと、ちょっと経ってしまったけれど自分としては久しぶりに歩いた場所なので、Upしておく。

(羽田第一ターミナル)→(弁天橋)→(穴守稲荷神社)→京急蒲田→(大田区中央)→大森
20193歩

Eastt羽田空港を歩くのはニ度目だ。過去一回は蒲田方向から多摩川河口沿い歩いて空港に入り、モノレールに乗って帰った。今回は羽田第一ターミナル【写真1st】を出発して逆の進路をとる。
羽田空港からR357を北上して京浜島に入るルートもあるが、そこが歩けるか、まだ確認していない。敢えて、宿題を残しておく。

Hk_tnlターミナルを出て新整備場などを見学しつつ南下。そのまま行くと神奈川県へ伸びる多摩川トンネルだが、実はこちら、歩いて渡れない。高速道路専用のトンネルだからだ。しかし、分かれて西に向かう羽田空港トンネル【写真2nd】は歩ける。歩道も付いている。

多摩川河口。素晴らしい天気で気持ちがよい。東には海面のコブのように海ほたるが見え、西には富士山が見えていた。たまに頭上をモノレールがよぎり、おぉっという感じに見上げる。
Hyosiki羽田空港トンネルを歩いていたのは自分ひとりだけだったが、この辺【写真3rd】になると人を見かけた。少女二人が自転車で羽田空港の方に向かったが、まさか空港に用事ではあるまい。その前の新整備場か?

Heiwat天空橋に出る。海老取川が多摩川に合流するポイントだ。
こちらの鳥居【写真4th】、もとはこの後足を運んだ穴守稲荷神社【写真5th】のものであった。それが、今は生き別れ状態。

穴守稲荷神社は昔、海老川以東、旧町名で言うところの羽田穴守町にあった。現在では羽田空港のB滑走路周辺にあたる場所だ。それが、1945年8月の終戦直後、羽田空港拡張を理由に進駐軍に強制退去を命じられる。しかも48時間以内という時間制限付きであったそうだ。
Anminrj_21200世帯・3000人がこれに応じ(というよりは無理矢理に違いないが)、彼らが暮らした愛着ある土地は整地されてしまうことに……。
穴守稲荷神社は地元の信者有志らの奉仕により現在地、海老取川西側の羽田5丁目に移る。
が何故か、鳥居はぽつんと残されていた。進駐軍が去った後も……。時が経て1999年、B滑走路建設時に撤去されることになったが、元住民らの強い要望でこの地に移設された。移動距離800メートル、4日間かけて慎重に運んだという。
移設には空港関係者の協力があったそうだ。この鳥居は地域と空港の共生のシンボルでもある。

Taishib穴守稲荷を参拝してから南下して大師橋たもと。この辺【写真6th】は“羽田の渡し”があったところだ。
かつて多摩川には41ヶ所もの渡しがあったそうで、羽田の渡しは海にそそぐ前の最後の渡し場になる。

あとは気ままに北上。最初はJR蒲田でゴールとしようかと思ったが、興がのってひとつ先の大森まで歩くことに。
Kkykoj途中の京急蒲田駅では第一京浜R15の上に線路を渡す工事中【写真7th】。大がかりな工事だ。

東邦医大通り、JR線路と横断し、「赤毛のアン 記念館」へ。しかしその場所に行っても見当たらない。後日Webで調べたら、2008年6月から2009年夏まで休館とのこと。2008年が赤毛のアン原作出版100周年の記念の年であり、2008年6月の中旬から「赤毛のアン展」が全国各地を巡回するとのことで、休館というよりは資料ごと巡業中というのが正確な表現かも。
今年の秋には戻ってくるらしい。待ちましょうかね。

神社の強制移動、渡しの廃止と架橋、京急の線路工事もそうだが、街はどんどん変わる。けれどけれど、人の想いがその景観を残すこともある。天空橋の鳥居がまさしくその例だ。――変わらざるえないのだけれど、どこかに昔を留めている。
生活向上のため常に変わっていかなければならないという考え方も間違ってはいないだろうけれど。昔を偲ぶ、その気持ちも美しいと思う。

参考Webページ;

大田区の史跡と歴史・デジカメ散策

穴守稲荷神社

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