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2009年6月

お岩稲荷探訪,他

過日のこと。六本木から雑司ヶ谷まで歩いた。

檜町公園を回り込んで赤坂小前で赤坂通りを横断。ちょうど昼時だったので「珉珉」で食事(←これが先の記事)。新坂を避けて、一本東の路を北上し、青山通りに出た。
Tk_park 出たところが、「高橋是清翁記念公園」である。【写真1st】
高橋是清。特許局の初代局長や日銀総裁を経て――歴代日銀総裁のなかで唯一その肖像が日本銀行券に使用された人物でもある――後に、首相、蔵相を務めた重鎮。この記念公園の地にあった自宅2階で、2.26事件の凶刃に倒れた。合掌。
この公園には他にもうひとつ、案内板がある。
「最初の赤坂区役所跡」の案内である。高橋是清が自宅を構えるその前、明治11年の都区町村の編成で東京が15区6群に区画されたおり、この地に赤坂区役所が置かれたのである。旧町名は“赤坂表町”。
ちなみに、芝区、麻布区、赤坂区、が統合されて港区となったのは昭和22年の話。

Gen_east_st_2 この公園で、トイレを借りて北上。
さて、先の「珉珉」記事で、散歩時のコース取りについて少しふれた。コース取りで悩ましいのが、幾つかの障害物である。“障害物”とはずいぶん不遜な言い方になるが、例えば皇居。あるいは、明治神宮、新宿御苑。で、高橋是清翁記念公園の北に広がる赤坂御用地などはその最たるものだ。無料で突っ切れる青山霊園や東京大学などはまだ良いのだが、赤坂御用地は東京のほぼ中央に位置し、ぴしゃりと門戸を閉じている。やむなく迂回するのだが、結構な道のりになるのだよ、これが。

外苑東通りを北上。【写真2nd】は途中で振り返って六本木ヒルズを見たところ。左手が赤坂御用地。ぽつんと立ちんぼ警備している警官が見えるだろうか? こんな風に赤坂御用地を取り囲んでいるのだ。ご苦労なことだ。

Sinsuke_sl 御用地を回り込むのが面倒で未踏の地であった信濃町駅すぐ東の首都高速&JR中央線高架下に向かった。で、おまけに付いてきたのだ高架下を抜けた先にあった新助坂、初めて歩いた。【写真3rd】、坂を登り切り振り返って撮っている。JP軌道が目線の下になっている。

次なるポイントが今回の主目的。新宿区左門町(四谷3丁目交差点南)、お岩稲荷。正確には「於岩稲荷田宮神社」と言うらしい。【写真4th】
『東海道四谷怪談』のあのお岩さんが祀られた神社である。
お岩の墓は巣鴨の妙行寺にあるのだが、こちらでは人神として祀っている。
歌舞伎役者が『四谷怪談』を舞台に掛けるときは、必ずお参りしたそうだ。怠ると祟りに見舞われたそうだ。

しかし、事実は大きく異なる。今回、足を運び資料をもらって判った事だが……。

Oiwa_inari 徳川家康の入府とともに駿府から江戸に来た御家人に田宮又左衛門という者がいて、その娘が岩であった。岩は婿養子に伊右衛門を迎え、仲のよい夫婦であったそうだ。収入の乏しい生活を岩が奉公に出て支え、岩が田宮神社を勧請したのち生活が安定し、神社は、土地の住民らの信仰の対象となった。
生活が向上した田宮家への妬み嫉みから、良からぬ中傷があったのも事実のようだが、そもそも『東海道四谷怪談』自体が、歌舞伎用の台本でしかないのだ。四代目鶴屋南北が――当時、江戸で起こった刃傷沙汰を参考に――市井の噂となった「岩」の名を借りて、想像力豊かに組み立てたものだ。
しかし、当時から歌舞伎が大衆娯楽の中心であったために、『東海道四谷怪談』の「お岩」が一人歩きするようになってしまい、今では怖ろし気なイメージがすっかり定着してしまった。
(京極夏彦の小説で後に映画化もされた『嗤う伊右衛門』は古典である鶴屋南北の『東海道四谷怪談』をベースにしている)

こぼれ話がある。時代が明治に入り、歌舞伎役者の市川左団次が「四谷まで毎度出かけていくのは大変だ」「新富座などの芝居小屋のそばに移ってほしい」と要望し、分社されてできたのが、中央区新川にある於岩稲荷神社だそうだ。現在はふたつのお岩稲荷があるのだ。

あとは、さらっと写真を並べておく。この後、坂だの階段だのを結構歩いたので、それらの画を。
通った順に左から……。

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【写真5th】新宿区愛住町の暗(くらやみ)坂。坂を降りたら靖国通り。
【写真6th】新宿区住吉町の階段。登り切ったところが市ヶ谷台町。
【写真7th】新宿区西早稲田3丁目の階段。降りたところが新目白通り。写真の奥が神田川に架かる曙橋になる。
【写真8th】豊島区高田2丁目ののぞき坂。23区内随一の急坂だ。登って少し行くと目白通り。千歳橋の東側に出る。そこに副都心線雑司ヶ谷の入り口があって、ゴールとした。

11691歩。

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「二代目海老そば けいすけ」の冷やしラーメン

Keisuke_gk二代目海老そば けいすけ」。高田馬場にあるラーメン屋である。
ふと見たら、2009年夏限定という冷やしラーメンが目にとまった。その名も「シトラスライムの風 生姜のグラニテ、辛子のムース添え」!!!!
凄いネーミングだ。おやじ連中は手が出まい。ってことで挑戦したのだ。¥800。

こちらのお店、店名にあるように海老を前面に出した味付けで有名だ。甘エビの頭を焼いたものを出汁に使っているとか、タレは白醤油に大量の桜エビを投入しているだの。そして、丼の形状がまたユニークで、球体を斜めにカットしたような形で、エビの香りを丼自体で燻り満たすようになっているとか。

Citrus_lime 冷やしラーメンも期待通り。大きなブランデーグラスのようなガラスの器、もちろん斜めカット。写真じゃちょっと判りづらいけれど、そうなのだ。
スープはすっきりとした中にもコクをたたえた醤油ベース。麺は平打ち、つけ麺のものと同じかも。
そして、二人がかりで――というのもひとりがレモンで、ひとりがライム、それを交互に輪のようにならべて――盛り付け。白く見えているのは鶏肉。鶏もこの冷やしラーメンにはぴったりだ。
写真右にちらと見えているのが辛子のムース。その下が生姜のグラニテ――シャーベットのようなものだ。この二つ結構利くので、味を見ながら入れた方が良い。ムースとシャーベットなので、スープに溶け込むのが速いのだ。
強烈柑橘系。醤油ベースのスープと意外と馴染んで、確かに爽やかな風を胸いっぱいに吸い込んだ感じ。

いやいや、今年初めての冷やしラーメン。冷やし中華も良いけれど、また格別だ。この夏、何杯イケるかな。

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赤坂、路地裏の有名店 「珉珉」

Min2_gk 散歩のコース取りはけっこう悩む。なるべくいろいろな路を歩きたいから、路地裏や小道を行くことも多い。しかし、何となくお気に入りの路が出来てしまって、無意識のうちに決まったルートを歩いていることもある。
青山通りから赤坂通りに抜ける、あるいはその逆の場合、赤坂近辺ならば、一ツ木通り。少し青山よりならば薬研坂から三分坂、あるいは稲荷坂を抜けるコースもお気に入りのルートだ。
で、さらに青山よりの新坂を使う手もある。だから、路地の奥にある「珉珉」の存在は以前から知っていたんだ。

Supezasai TV朝日系『裸の少年』でこちらがレポートされた時は驚いた。2008年8月30日放送の“田崎真也と行く「おやじめし 赤坂編」”の回だ。しまった、いつもすぐ横を歩いていたのに、ノー・マークだった! と、焦ったのだ。美味しい飯がすぐそこにあるのに、気がつかずにいた悔しさもあった。

ネットで調べると半ラーメンの「わんこラーメン」とか胡椒と酢でいただく餃子だとかも大人気のようだが、先のTV番組で紹介されていた「ドラゴン炒飯」¥788を注文した。
先に中ぶりの椀でスープが出てきた。普段の中華食堂でいただくスープより量がたっぷり。で、カウンターの上のザーサイが取り放題。【写真2nd】
Dragon_ch 「ドラゴン炒飯」は韮どっさりのニンニクばっちりの炒飯だ。スタミナ付くよ。【写真3rd、あえてどアップ】

メニューは沢山、どれも美味そう。
先日2009年6月20日放送の日本テレビ系『満点☆青空れすとらん』では、こちらのカレーライスが紹介されていたぞ。中華のカレーだ。
こういうお店があると、さらに散歩ルートが固定されてきてしまうな。リピート必至だもん。

ランチは会計時に棒アイスのサービスがある。昼休み、赤坂小あたりで棒アイスを歩き食いしている人を見たら、その人は「珉珉」の帰りだよ。

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シチリアの陽光あふれる 「da Nino」

Uni_spa シチリア郷土料理が楽しめるお店に行ってきた。
乃木坂駅からすぐ、外苑東通りからちょっと入ったところにある「Ristorante da Nino」。

 

Zensai こちらのオーナーシェフ、シチリア島の港町トラバニの出身だそうで、若干39歳(?ネット情報)にして、イタリア大使館も一目置く実力派だそう。

 

 

Ebi 例により詳細レポートはフードアナリストのページにて。

 

 

 

 

Grappa

雑誌『料理王国』2009年5月号に“イタリアンは加速する。”特集があった。ヌーベル・イタリアンとでも云うのだろうか? ボーダーを越え革新していくイタリア料理界についての記事であったが、それに逆行するような、郷土料理のポリシーを貫くリストランテ。潔く、品格高い。好感がもてた。

Espresso_2 外苑東通りを散歩するときは、覗いてみたくなるのだろうな。カウンターもあったし、ひとりでランチもいけるかも。

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東京シティガイドクラブのこと、どこまで話す?

過日6月13日の話。
東京シティガイドクラブ・グルメグループの研修会があって、麻布十番を訪れた。

1nob_jct_2 写真1St】は工事中の一ノ橋Jct.。ジャンクションの下は一之橋公園。古川が直角に曲がるポイントだ。で、こちらも工事中。“水の都=東京”を夢想する自分としては、上の高速道路より、下の古川の工事の方が気になる。
で、基本的なところだが、自分もはっきり認識していなかったので、河川名のおさらい。JR渋谷駅下から明治通り沿いに流れているのが「渋谷川」。明治通りと外苑西通りが交差する天現寺橋から名前を「古川」と変える。それは「渋谷区から港区に入ったところで」と言い換えることができる。
渋谷川・古川の河川工事については、こちら『渋谷川・古川河川整備計画概要』(by東京都建設局)が判りやすい。
ちょっとマニアックな向きにはこちら、2008年5月に東京都建設局が発表した「渋谷川・古川河川整備基本方針」を。
要は一之橋から上流3.3Kmに渡って川の下に太いパイプが走ってバッファー(調整池)となり、その排水施設が一之橋公園下にできあがる、とそう云うことらしい。
上記基本方針にあるが、『都市のにぎわいと人々にうるおいとやすらぎをもたらす渋谷川・古川の再生』の基本理念のもと、暗渠化ぜずに景観を残しつつ治水事業を進めているのだ。
ぼくはこの基本理念を断然支持する。

さて、東京シティガイドクラブ。
活動の内容をこのブログにどこまで公開して良いものか?
フードアナリストの方では、中には覆面調査的活動もあって、当然ながら守秘義務も発生する。東京シティガイドの方はそれと比べるとずいぶんとオープンな感じではある。が、やはりここ「はらへり*てんき」は個人ブログ、さらっと流す程度にして、詳細を語るのは止めておく。

Edoya この日は、「麻布十番」のもつ多面的な要素を押さえつつ、主要スポットを巡った後、テーマ事に分散してランチをいただき、その後再度集まってそれぞれのランチの報告会……。
自分は老舗洋食屋「Edoya」さん【写真2nd】でランチ。品格を感じるデミグラスソース。洋食の王道を行くレストランであった。

解散が15時過ぎ。この日は、JURA(プロフィールにある創作集団)の集まりが新宿3丁目にて18時からセッティングされていた。
歩くことにする。
実は、はなから研修の後に歩くつもりでいて、準備万全であった。

Nezumi_s 15:25、狸穴公園の南で、万歩計をセット。
狸穴坂ではなく、狸穴公園のま北にある鼠坂【写真3rd】を上る。
江戸の昔、細長く狭い坂を、ねずみ坂と呼んでいたそうだ(そう言えば、市ヶ谷大日本印刷の東側にある細い坂も同じ名だ)。写真奥、坂を登り切って左手側は植木坂。さらに上には鼬坂(?らしい)。
鼠・鼬と上がって外苑東通りに出、六本木へ。

Hills 【写真4th】は六本木ヒルズ。
以前にもこのアングルで写真を撮ったことがある。暖色系の階段越しにクロムに聳えるヒルズを見上げる構図、結構気に入っている。
後に、松本潤・北村一輝・香里奈らが出演した日本テレビ系TVドラマ『バンビ~ノ!』の舞台――写真の階段下が主人公が勤めていたレストランの裏口とうい設定――になって、ちょっと驚いた。

Toei_danchi 外苑西通りの裏道、長者丸通りなどを縫って北西に移動。
青山通りを渡って、都営青山北町アパートに分け入った。【写真5th】
配管類が露出したこのフォルムはどうだ。調べてみたら、1957~1968年に建てられた住宅団地。昭和30年代築、ぼくと同期。港区に現存する都営住宅としては最古参だ。
都営住宅は東京都都市整備局の都営住宅団地一覧で調べられる。

Turunoyu 昭和にタイムスリップしたような都営団地を突っ切っり、裏道を行く。神宮前3丁目、千駄ヶ谷4丁目と北上。
で、ゴールが千駄ヶ谷能楽堂そばの「鶴の湯」、16:43。【写真6th】
一風呂浴びたら、新宿3丁目まで歩く気が失せてしまったのだ。ここから副都心線の北参道駅は近いし、新宿3丁目までは一駅。ってことで脱力。

6409歩。
麻布十番散策の分を加算すると、おそらく12000歩。

歴史深い麻布十番からスタートし、六本木ヒルズや青山北町アパートを眺め、銭湯ゴールのショート(?)ウォーク。
あとから資料をひっくり返すと、見逃したポイントもあったりして少々悔しい。が、それはあとでまたCheckすることにしよう。
JURAで飲んだ最初の生ビールが格別に美味かったことを付け加えておく。

参考Web;

東京都建設局

東京都都市整備局

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松濤の完全予約制レストラン 「MA-VIE」

Mv_gk 背伸びして一日に2組しか入れないという完全予約制のレストランに行ってきた。場所は渋谷区松濤。松濤と云っても山手通りの外側、目黒区との区界にある。窓からは駒場東大の緑深い木々が見え、自然の中にひっそりとたたずむような静謐な空間「MA-VIE」。詳細はこちらフードアナリストのページに。

ちょっと裏話。こちらのレストラン、完全予約制、一軒家風、と云うことでまさに『隠れ家』なのだが、巷のレストランレビューに『大人の』とか『隠れ家』と言ったタームがあふれているので、敢えてこれら語彙を使用しいないで記事にしてみた。他にも言いたいことはあったし。

Tai で、レストランレビューはそちらに回すとして、実はレストランの立地が興味深いのである。
目黒区と渋谷区の区界、かつて三田用水が流れていたところである。
自分は見逃してしまったのだが、過日5月15日放送の『タモリ倶楽部』が「好評!都内を歩いているだけ企画、三田用水の痕跡を巡る!」という回だったので、「はは~ん、知ってるよ」って方も多いかもしれない。

Interior 以下、東京シティガイド的に少々蘊蓄をまとめておこう。
三田用水とは、渋谷川水系と目黒川水系の境目にあたる台地上にひかれたもの。江戸は寛文4(1664)年11月に世田谷の北沢において玉川上水から分水され、当時は飲料用上水としても使用されていたらしい。
しかし、享保7(1722)年9月、火事を拡大させる要因となるという理由から廃止になり――ついで本所上水,千川上水も廃止に。堀抜き井戸の技術が確立されたことと関連があるようだ――、その2年後の享保9年に農業用に分水利用していた村の嘆願により、三田用水として復活。世田谷・渋谷・目黒・品川の周辺14カ村が管理に当たっていた。
明治に入ると水車小屋が置かれて、この動力が目当てで日本麦酒醸造会社が移転してきたとの話もある。
そして昭和4(1929)年以降、その大日本麦酒も協力し、水路の暗渠化が進められ、1974年、ついに三田用水は地上から姿を消す。

こんな山の手地区までも昔は水に潤った都市だったのだ江戸/東京は。“東洋のベニス”って誰が言った言葉だったのか。

参考Web;

Half Male Project 「三田用水」調査ノート

三田用水<目黒区公式ページ

目黒の水車<目黒区公式ページ

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誰もいない浅草

Orange 先の記事、画描き師加藤と「浩司」で呑んでいるとき、大きなカメラでパチパチと撮影しつつ、通り過ぎていくプロの写真家(っぽい方)をふたりほど見かけた。特徴ある飲み屋街なので画になるのであろう。

Denpoin で、その翌朝である。
なんと5時に目が覚めた。
ならばとカメラをもってホテルを出た。
早朝の浅草はどんな画になるのか、ちょっとわくわくした。

6ku ――“誰もいない浅草”なんて在り得ない。
ウイル・スミスが主演した『I Am Legend』の静まりかえったニューヨークを思い出した。新型のウイルスが蔓延、多くの人々が亡くなり、生き残ったのは偶然に耐性をもっていた人だけ……みたいな。

Akeid 辛うじて電力は供給されているようだが、仲見世通りのこの見通しの良さ! なんなんだ!?

観音通りのアーケードでは死の恐怖に怯え、とぼとぼ歩く男性が。

六区通りでは、気丈にも警邏しているお巡りさんが。
みんながんばって生きてくれ!

Nakamise 妄想を抱きつつ、ホテルに戻った。
まだ6時になっていない。寝なおすことに……。
妄想は、二度寝で見た夢へと続いていた。

 

Azuma_br

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