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松濤の完全予約制レストラン 「MA-VIE」

Mv_gk 背伸びして一日に2組しか入れないという完全予約制のレストランに行ってきた。場所は渋谷区松濤。松濤と云っても山手通りの外側、目黒区との区界にある。窓からは駒場東大の緑深い木々が見え、自然の中にひっそりとたたずむような静謐な空間「MA-VIE」。詳細はこちらフードアナリストのページに。

ちょっと裏話。こちらのレストラン、完全予約制、一軒家風、と云うことでまさに『隠れ家』なのだが、巷のレストランレビューに『大人の』とか『隠れ家』と言ったタームがあふれているので、敢えてこれら語彙を使用しいないで記事にしてみた。他にも言いたいことはあったし。

Tai で、レストランレビューはそちらに回すとして、実はレストランの立地が興味深いのである。
目黒区と渋谷区の区界、かつて三田用水が流れていたところである。
自分は見逃してしまったのだが、過日5月15日放送の『タモリ倶楽部』が「好評!都内を歩いているだけ企画、三田用水の痕跡を巡る!」という回だったので、「はは~ん、知ってるよ」って方も多いかもしれない。

Interior 以下、東京シティガイド的に少々蘊蓄をまとめておこう。
三田用水とは、渋谷川水系と目黒川水系の境目にあたる台地上にひかれたもの。江戸は寛文4(1664)年11月に世田谷の北沢において玉川上水から分水され、当時は飲料用上水としても使用されていたらしい。
しかし、享保7(1722)年9月、火事を拡大させる要因となるという理由から廃止になり――ついで本所上水,千川上水も廃止に。堀抜き井戸の技術が確立されたことと関連があるようだ――、その2年後の享保9年に農業用に分水利用していた村の嘆願により、三田用水として復活。世田谷・渋谷・目黒・品川の周辺14カ村が管理に当たっていた。
明治に入ると水車小屋が置かれて、この動力が目当てで日本麦酒醸造会社が移転してきたとの話もある。
そして昭和4(1929)年以降、その大日本麦酒も協力し、水路の暗渠化が進められ、1974年、ついに三田用水は地上から姿を消す。

こんな山の手地区までも昔は水に潤った都市だったのだ江戸/東京は。“東洋のベニス”って誰が言った言葉だったのか。

参考Web;

Half Male Project 「三田用水」調査ノート

三田用水<目黒区公式ページ

目黒の水車<目黒区公式ページ

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コメント

だんだんバブル化してきたなあ。

その調子でお金を使って経済をまわして下さい。

おいらは数年前、散々日本経済の上昇に貢献しました。

投稿: mina | 2009/06/09 18:32

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