杜氏衆という歴史――原口酒造「阿多」を飲む
黄麹の焼酎が好きだ。入手しやすくなってきた西酒造の「富乃宝山」とか、まだまだ入手が難しい白玉醸造の「魔王」とか……。
黄麹の特徴は独特な香りにあって、「フルーティな」とか「クアントローに似た」とか表現される。今回いただいた原口酒造さんの「阿多」は、その黄麹の香りがまた一段と強く、飲み口がまろやか。さんざん日本酒をいった後のテイスティングだったので、自信はないが、ただならぬ黄麹テイストは判った。
で、調べてみた、「阿多」のことを――。
明治期、鹿児島では水田が少なく、耕地が狭いため、さつま芋作りが盛んだった。農閑期には酒蔵に出稼ぎに入ったが、逆に焼酎造りの繁忙期に身内を呼んだことから、杜氏の里がつくられていったらしい。その里が川辺郡笠沙(かささ)町黒瀬と、日置郡金峰町阿多にあり、そこの杜氏衆はそれぞれ“黒瀬杜氏”“阿多杜氏”と呼ばれていたらしい。彼らはその腕を請われて、九州各地や四国にまで出むき、焼酎を造った。
昭和30年代には黒瀬、阿多合わせて500人に達した蔵子・杜氏の数が、昨今の機械化・大規模工場化――先の西酒造さんはその最たる代表――により、激減。職人杜氏衆として後継者がいない状態らしい。
そんななか、“黒瀬杜氏”の方は、'93年に笠沙町と民間が第三セクターにより「杜氏の里 笠沙」を立ち上げ、焼酎造りの伝承に乗り出した。
一方、“阿多杜氏”は日本酒蔵で学んだ黄麹の扱いに優れ、遠く日向(宮崎)までその技を広めたと言われているが、これと言ったテコ入れは無いようで、小さな蔵が細々とその技を繋げていっているだけのようだ。
蔵元、原口酒造さんの住所は、鹿児島県日置市吹上町入来652。かつての日置郡金峰町阿多は南さつま市大浦町辺りか?(Webだけでは調べきれず挫折) しかし、金峰山からもほど近いし、創業も明治23年と、杜氏集団発生とリンクする。“阿多杜氏”の息がかかった酒蔵だろう。
黄麹仕込三年古酒「阿多」は、そんな歴史を孕んだ銘酒に違いない。
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コメント
あたたた!
投稿: mina | 2009/07/07 13:12