街中徘徊

品川徘徊・変化し続ける魔都を見る

五反田→北品川→[元なぎさ通り]→(勝島運河)→[木の芽坂]→下神明→(貴船神社)→(TOC)→五反田

12830歩、444kcal

 先の記事、天ぷらの「三浦屋」に行ったときのこと。
 今回は装った風景写真を控えて“変化し続ける魔都”という視点でレポートしてみる。

○SONY村大工事

Sony_twn  まずは北品川6丁目、工事中のSONY村だ。【写真1st】はかつてSONY2号館があったところ。このように道路の北側のSONY社屋がすべて無くなっている。まさかSONYが売り渡した? いやいやたぶん新社屋が建つのであろう。どんな社屋が立つのかちょっと楽しみだ。新宿の東京モード学園みたいな、奇抜なデザインかな。

 このあと御殿山ガーデンを回り込んで南下。先の記事「三浦屋」での昼食。
 そしてさらに南下して、鮫洲の勝山運河に来た。

○鮫洲ポンプ所雨水貯留池

Tykomae_2  僕が魔都・東京に魅せられて、本格的に歩き出したのが2002年。
 その頃携帯していた地図にはまだ運河の船だまりが残っていて、埋め立て工事が少し進んだ頃だった。それがね……。

 鮫洲ポンプ所雨水貯留池工事が進んでいる。現在「その6工事」。
「その5工事」は、CCI東京により見学可能であったようだ。

 CCIとはCharming Construction's Identityの頭文字。正式には「魅力ある建設事業推進協議会」といって、東京都をはじめ関東甲信越の各県にも設置されているそうな。
 建設事業をより魅力あるものにするため、あるいは地域住民の理解促進のためか、建設現場の見学会などを主催している。

 こちらの工事、東京都下水道局からの発注で鹿島建設株式会社が施工しているもの。

 東京シティガイド検定公式テキストによると、地盤の高さが満潮時の海水面より低くなってしまういわゆる「ゼロメートル地帯」は東京地区に124Km*2もあり、23区の約20%の面積を占める。

 ポンプ所は、そういった雨水や下水を自然流下させる勾配が取れない場所に設置されている。臨海部や隅田川、荒川沿岸などに多い。
 平成14年8月現在、23区内に79か所のポンプ所(無人ポンプ所48か所を含む)が稼働している。
 汚水と雨水を合わせたポンプ揚水量の平成13年度実績は、約7億7千300万m*3

○工事現場を覆う壁面に【写真3rd】

Samezu_p_w  工事現場を覆う壁面に、勝島運河船だまりの埋め立てから始まったこの工事の流れを写真で示すパネル【写真2ndはこのパネルにあった1999年当時の船だまりの光景】と昔の鮫洲浜についての解説があった。

 前記事で、江戸前海苔養殖漁師だった三浦屋店主の話を書いた。その補足にもなるので、この鮫洲浜の解説を少し引用しておこう。

江戸時代の品川の海は「お菜肴八か浦」といって、将軍家の食事のお菜となる魚や貝を献上していました。主なものとしてワタリガニ、コチ、カレイ、アナゴ、シャコ、アサリなどをはじめ、約300種類もの漁獲があったそうです。そのために、冬の不漁に備えて、海にソダを立て、イケスを作って魚を飼っていました。このソダに海苔がつきました。延宝の頃、東海禅寺の沢庵禅師が、この海苔の加工法を教えたことによって海苔の採取が始まったといわれています。

 以前、大田区郷土博物館に東京湾埋め立ての変遷や海苔漁に関しての詳細な資料・展示品があったのだが、それらは2008年4月オープンした「大森海苔のふるさと館」に移管されている。

 この後は西へ。第一京浜を渡り、木の芽坂で大井町、駅南側の歩道橋でJR京浜東北線・東海道本線を越えた。整備中の補助第163号で下神明に向かう。

○補助第163号&26号線

 まず、補助第163号線
 品川区都市計画課では大井地区を『庶民性と広域性を持った区の中心核として発展するまち』と捉えており、交通網の中心になる街と考えているらしい。
 補助第163号線は、補助第26号線と補助第205号線を結び、品川区南北の交通ネットワークの形成を図るものだ。

 この道路計画が決定したのはオリンピックのあった1964(昭和39)年の話。それが未だに工事中。
 こういう道路は他にもある。
 自分が、東京シティガイドのツアーで案内した池袋の補助第172号線も同様だ。

Takosuberi  このあと、下神明のタコすべり台を撮りに行ったのだが、こちらがその補助第26号線の工事で公園ごとつぶされていた! しかも移転を計画していタコすべり台は老朽化がひどく、移転を断念したとのこと。【写真4th】
 タコすべり台、撮り逃した~(ρ_;)

 しかし、補助第26号線が開通すれば、物流の太いパイプになることは間違いない。
 これで車交通がスムースになれば、排気ガス・CO2削減に寄与でき、地球環境のためになるかも知れない。

 下神明から北上。
 すると今度は、西品川2丁目、戸越銀座へと続く三ツ木通りで工事だ。

○戸越幹線貯留管中流部整備工事【写真5th】

Tks_tyoryuk  品川区都市整備下水道課が進めている事業だ。
 どうやら、ここは三木公園であったところ。工事の起点となる立杭の設置工事を行っているらしい。
 戸越銀座通り周辺の浸水被害を軽減を狙い、貯留管を布設する工事の一環だ。
 上流部と下流部はすでに貯留管の布設が完了しているらしい。
 貯留管が完成すると、その貯留管で雨水を一旦受け止め、安全が確認された後、ポンプにより戸越幹線に置流。最終的には水再生センターで処理することになる、とのこと。

 先の“ゼロメートル地帯”の話とも関連するが、そもそもが海であった処に無理矢理街を作ったのだから、こういった水害との戦いは必然ともいえる。
 その意味からも、江戸=東京は、変わり続ける宿命なのだ。

 さらに北上。真新しいタワー2棟が迫ってきた。
 これが、今回最後のChenge物件。

大崎ウエストシティタワーズ

Owct_f_khnj  【写真6th】は西品川3丁目の貴船神社から撮ったもの。
 平成21年8月5日完成、地上39階、建地下2階建てのマンションだ。1084戸がもう間もなく発売開始とあい成る。
 この前(って何ヶ月前だ?)、つけ麺で有名な「六厘舎」に来たときは影も形も見えなかったのに……。

 斯様に変わり続ける魔都・東京。目が回る。幻惑させられることばかり。

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篠崎→浜町

 17555歩 613kcal

Koimooyogu  「ツユ焼きそば」を食した後、歩いた。
 鯉が泳ぐ本郷用水親水緑道【写真1st】から、鹿骨親水緑道。新中川を春江橋で渡って一之江に入り、一之江境川をたどって新大橋通りに出た。

Kashinosuijingu  鳥居【写真2nd】は一之江境川親水公園の「河岸の水神宮」。水に恵まれた江戸川区は水神をまつる社や祠が多いそうだ。この水神宮は一之江境川の東岸に位置し、かつては舟の溜まり場であったらしい。
 歩いていると、散在する「東洋のベニス=東京の残映」に、やるせないような儚さを悼むような、複雑な気持ちにさせられることが、ままある。

Teckt_stkkjs  新大橋通りにでたら、西へひた歩く。

 船堀橋から【写真3rd】。逆行の首都高速環状線に直行する都営地下鉄新宿線。川面は中川。

 船堀橋で中川と荒川を渡った。
Higashiohjima  次は旧中川。旧中川の上に渡る東大島駅【写真4th】。下の川面にはカヌーを漕ぐ人が。彼(彼女?)は自分が江戸川区と江東区の境にいることを知っているだろうか?

 新大橋通りを西へ。足の下には都営地下鉄新宿線が走っている。
 途中『ティアラこうとう』からの大量の帰り客に足を阻まれ、めげた。何のコンサートだろう? 客層から演歌歌手さんか何かか?

Morisita  どんどん暗くなる。
 ちょうど17時頃。清澄通りとの交差点【写真5th】、森下駅前。火消し纏を模したような街路灯が洒落ている。

 そして、とうとう来ました新大橋【写真6th】。
 隅田川に架かる橋らは、ライトアップされている橋が多い。Night-Walkの醍醐味のひとつだ。

Shinohhasi  浜町公園の銀杏が黄色く色づいていた。写真はブレたのでナシ。
 昔、浜町公園から明治座を撮った写真を同人誌のカバーにアレンジしたことを思い出した。
 このあと、その同人誌の集まり。浜町から地下鉄に乗った。

 ライトアップにプラスして、冬になるとイルミネーションが綺麗になる。
 Night-Walkの季節到来か。

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小池さん御用達 「松葉」@南長崎

Matuba_gk  小池さんとは、藤子不二雄作品に登場するあの“ラーメン大好き小池さん”である。ウィキペディアによると、石ノ森章太郎、赤塚不二夫作品にも登場したことがあるそうだ。
 小池さんが、作品中で食べているのはインスタントラーメンっぽいが、『漫画界の梁山泊』とも表現されたトキワ荘に出前を運んだラーメン屋さんは、いまも豊島区南長崎の地で営業を続けている。

 中華料理「松葉」である。

 東京シティガイドの研修ツアーを企画することになって、トキワ荘通りまで下見に来たのだ。まぁ、そのついでにトキワ荘の面々が愛したという「松葉」で昼食である。

Mb_1tmen  注文したのは、「ワンタンメン」¥600。
 支那そばの王道を行くような、くっきりとした鶏ガラスープに中細縮れ麺。
 飾り気ない半身のゆで卵がプリティだ。
 ここにつるるんとした皮に包まれた肉ワンタンが十ケほど。
 食べごたえもあって、これで¥600って、安いよ。

Mb_signs  無化調なのかな? 優しい味わいで、毎日食べられそうなスープだった。
 定食の類もあって、地元の人に親しまれているよう。昼間っからビールとつまみをいくおじさんとか、それぞれに麺類を頼み、他にチャーハンひとつを追加して、シェアしているカップルもいた。
 ――あぁ、チャーハンも美味そうだ。

Hi_tkws  最後の写真は、近くの公園に、今年4月に出来たばかりのトキワ荘の記念碑。おそらくは東京にある記念碑の類で、一番新しい物ではないかな。

 参考Webページ;
 トキワ荘のあった街 東京都豊島区豊島区公式ホームページ

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「澤乃井 まゝごと屋」で美味しい空気と豆腐料理を

Sakagura東京シティガイド・文学グループに続き、グルメグループの研修ツアーがあった。場所は青梅の先、沢井。「小澤酒造」さんにて酒蔵見学であった。
同日に、フードアナリストのブラッシュアップセミナーがあって、悩みに悩んで――って、酒に釣られただけだけれど――結局、こちらに参加した。

Warabuki_3 小澤酒造さんは『澤乃井』で知られる酒蔵。1702(元禄15)創業。元禄のころからの蔵が健在で、その太い梁に驚いた。看板が魯山人さんの筆によるものだったことにも「おおっ」と感動。10万円相当の杉玉にも【写真1st】。

【写真2nd】は酒蔵入口の横にあった見事な藁ぶき屋根。
社長さんのお宅らしい。

Kaede_b_2 で、お昼処である。澤乃井と同じ水で造られる豆腐と湯葉がウリの小澤酒造直営料亭「まゝごと屋」で楓コースをいただいた。
こちらのお店、多摩川の自然を面前にゆったりとお料理を愉しめる優良店である。
ちなみに【写真3rd】はその多摩川に架かる楓橋。

東京シティガイドの研修で行ったのに、フードアナリストの厳選レストランにアップしておいた。折角だからね。

Yacco_yuba_2 Hamoten_2 Zensai_2 Ayusio_2

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お岩稲荷探訪,他

過日のこと。六本木から雑司ヶ谷まで歩いた。

檜町公園を回り込んで赤坂小前で赤坂通りを横断。ちょうど昼時だったので「珉珉」で食事(←これが先の記事)。新坂を避けて、一本東の路を北上し、青山通りに出た。
Tk_park 出たところが、「高橋是清翁記念公園」である。【写真1st】
高橋是清。特許局の初代局長や日銀総裁を経て――歴代日銀総裁のなかで唯一その肖像が日本銀行券に使用された人物でもある――後に、首相、蔵相を務めた重鎮。この記念公園の地にあった自宅2階で、2.26事件の凶刃に倒れた。合掌。
この公園には他にもうひとつ、案内板がある。
「最初の赤坂区役所跡」の案内である。高橋是清が自宅を構えるその前、明治11年の都区町村の編成で東京が15区6群に区画されたおり、この地に赤坂区役所が置かれたのである。旧町名は“赤坂表町”。
ちなみに、芝区、麻布区、赤坂区、が統合されて港区となったのは昭和22年の話。

Gen_east_st_2 この公園で、トイレを借りて北上。
さて、先の「珉珉」記事で、散歩時のコース取りについて少しふれた。コース取りで悩ましいのが、幾つかの障害物である。“障害物”とはずいぶん不遜な言い方になるが、例えば皇居。あるいは、明治神宮、新宿御苑。で、高橋是清翁記念公園の北に広がる赤坂御用地などはその最たるものだ。無料で突っ切れる青山霊園や東京大学などはまだ良いのだが、赤坂御用地は東京のほぼ中央に位置し、ぴしゃりと門戸を閉じている。やむなく迂回するのだが、結構な道のりになるのだよ、これが。

外苑東通りを北上。【写真2nd】は途中で振り返って六本木ヒルズを見たところ。左手が赤坂御用地。ぽつんと立ちんぼ警備している警官が見えるだろうか? こんな風に赤坂御用地を取り囲んでいるのだ。ご苦労なことだ。

Sinsuke_sl 御用地を回り込むのが面倒で未踏の地であった信濃町駅すぐ東の首都高速&JR中央線高架下に向かった。で、おまけに付いてきたのだ高架下を抜けた先にあった新助坂、初めて歩いた。【写真3rd】、坂を登り切り振り返って撮っている。JP軌道が目線の下になっている。

次なるポイントが今回の主目的。新宿区左門町(四谷3丁目交差点南)、お岩稲荷。正確には「於岩稲荷田宮神社」と言うらしい。【写真4th】
『東海道四谷怪談』のあのお岩さんが祀られた神社である。
お岩の墓は巣鴨の妙行寺にあるのだが、こちらでは人神として祀っている。
歌舞伎役者が『四谷怪談』を舞台に掛けるときは、必ずお参りしたそうだ。怠ると祟りに見舞われたそうだ。

しかし、事実は大きく異なる。今回、足を運び資料をもらって判った事だが……。

Oiwa_inari 徳川家康の入府とともに駿府から江戸に来た御家人に田宮又左衛門という者がいて、その娘が岩であった。岩は婿養子に伊右衛門を迎え、仲のよい夫婦であったそうだ。収入の乏しい生活を岩が奉公に出て支え、岩が田宮神社を勧請したのち生活が安定し、神社は、土地の住民らの信仰の対象となった。
生活が向上した田宮家への妬み嫉みから、良からぬ中傷があったのも事実のようだが、そもそも『東海道四谷怪談』自体が、歌舞伎用の台本でしかないのだ。四代目鶴屋南北が――当時、江戸で起こった刃傷沙汰を参考に――市井の噂となった「岩」の名を借りて、想像力豊かに組み立てたものだ。
しかし、当時から歌舞伎が大衆娯楽の中心であったために、『東海道四谷怪談』の「お岩」が一人歩きするようになってしまい、今では怖ろし気なイメージがすっかり定着してしまった。
(京極夏彦の小説で後に映画化もされた『嗤う伊右衛門』は古典である鶴屋南北の『東海道四谷怪談』をベースにしている)

こぼれ話がある。時代が明治に入り、歌舞伎役者の市川左団次が「四谷まで毎度出かけていくのは大変だ」「新富座などの芝居小屋のそばに移ってほしい」と要望し、分社されてできたのが、中央区新川にある於岩稲荷神社だそうだ。現在はふたつのお岩稲荷があるのだ。

あとは、さらっと写真を並べておく。この後、坂だの階段だのを結構歩いたので、それらの画を。
通った順に左から……。

Krym_sl_5 Kyusaka_3Ww3_3For_igdm_5   

【写真5th】新宿区愛住町の暗(くらやみ)坂。坂を降りたら靖国通り。
【写真6th】新宿区住吉町の階段。登り切ったところが市ヶ谷台町。
【写真7th】新宿区西早稲田3丁目の階段。降りたところが新目白通り。写真の奥が神田川に架かる曙橋になる。
【写真8th】豊島区高田2丁目ののぞき坂。23区内随一の急坂だ。登って少し行くと目白通り。千歳橋の東側に出る。そこに副都心線雑司ヶ谷の入り口があって、ゴールとした。

11691歩。

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東京シティガイドクラブのこと、どこまで話す?

過日6月13日の話。
東京シティガイドクラブ・グルメグループの研修会があって、麻布十番を訪れた。

1nob_jct_2 写真1St】は工事中の一ノ橋Jct.。ジャンクションの下は一之橋公園。古川が直角に曲がるポイントだ。で、こちらも工事中。“水の都=東京”を夢想する自分としては、上の高速道路より、下の古川の工事の方が気になる。
で、基本的なところだが、自分もはっきり認識していなかったので、河川名のおさらい。JR渋谷駅下から明治通り沿いに流れているのが「渋谷川」。明治通りと外苑西通りが交差する天現寺橋から名前を「古川」と変える。それは「渋谷区から港区に入ったところで」と言い換えることができる。
渋谷川・古川の河川工事については、こちら『渋谷川・古川河川整備計画概要』(by東京都建設局)が判りやすい。
ちょっとマニアックな向きにはこちら、2008年5月に東京都建設局が発表した「渋谷川・古川河川整備基本方針」を。
要は一之橋から上流3.3Kmに渡って川の下に太いパイプが走ってバッファー(調整池)となり、その排水施設が一之橋公園下にできあがる、とそう云うことらしい。
上記基本方針にあるが、『都市のにぎわいと人々にうるおいとやすらぎをもたらす渋谷川・古川の再生』の基本理念のもと、暗渠化ぜずに景観を残しつつ治水事業を進めているのだ。
ぼくはこの基本理念を断然支持する。

さて、東京シティガイドクラブ。
活動の内容をこのブログにどこまで公開して良いものか?
フードアナリストの方では、中には覆面調査的活動もあって、当然ながら守秘義務も発生する。東京シティガイドの方はそれと比べるとずいぶんとオープンな感じではある。が、やはりここ「はらへり*てんき」は個人ブログ、さらっと流す程度にして、詳細を語るのは止めておく。

Edoya この日は、「麻布十番」のもつ多面的な要素を押さえつつ、主要スポットを巡った後、テーマ事に分散してランチをいただき、その後再度集まってそれぞれのランチの報告会……。
自分は老舗洋食屋「Edoya」さん【写真2nd】でランチ。品格を感じるデミグラスソース。洋食の王道を行くレストランであった。

解散が15時過ぎ。この日は、JURA(プロフィールにある創作集団)の集まりが新宿3丁目にて18時からセッティングされていた。
歩くことにする。
実は、はなから研修の後に歩くつもりでいて、準備万全であった。

Nezumi_s 15:25、狸穴公園の南で、万歩計をセット。
狸穴坂ではなく、狸穴公園のま北にある鼠坂【写真3rd】を上る。
江戸の昔、細長く狭い坂を、ねずみ坂と呼んでいたそうだ(そう言えば、市ヶ谷大日本印刷の東側にある細い坂も同じ名だ)。写真奥、坂を登り切って左手側は植木坂。さらに上には鼬坂(?らしい)。
鼠・鼬と上がって外苑東通りに出、六本木へ。

Hills 【写真4th】は六本木ヒルズ。
以前にもこのアングルで写真を撮ったことがある。暖色系の階段越しにクロムに聳えるヒルズを見上げる構図、結構気に入っている。
後に、松本潤・北村一輝・香里奈らが出演した日本テレビ系TVドラマ『バンビ~ノ!』の舞台――写真の階段下が主人公が勤めていたレストランの裏口とうい設定――になって、ちょっと驚いた。

Toei_danchi 外苑西通りの裏道、長者丸通りなどを縫って北西に移動。
青山通りを渡って、都営青山北町アパートに分け入った。【写真5th】
配管類が露出したこのフォルムはどうだ。調べてみたら、1957~1968年に建てられた住宅団地。昭和30年代築、ぼくと同期。港区に現存する都営住宅としては最古参だ。
都営住宅は東京都都市整備局の都営住宅団地一覧で調べられる。

Turunoyu 昭和にタイムスリップしたような都営団地を突っ切っり、裏道を行く。神宮前3丁目、千駄ヶ谷4丁目と北上。
で、ゴールが千駄ヶ谷能楽堂そばの「鶴の湯」、16:43。【写真6th】
一風呂浴びたら、新宿3丁目まで歩く気が失せてしまったのだ。ここから副都心線の北参道駅は近いし、新宿3丁目までは一駅。ってことで脱力。

6409歩。
麻布十番散策の分を加算すると、おそらく12000歩。

歴史深い麻布十番からスタートし、六本木ヒルズや青山北町アパートを眺め、銭湯ゴールのショート(?)ウォーク。
あとから資料をひっくり返すと、見逃したポイントもあったりして少々悔しい。が、それはあとでまたCheckすることにしよう。
JURAで飲んだ最初の生ビールが格別に美味かったことを付け加えておく。

参考Web;

東京都建設局

東京都都市整備局

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羽田第一ターミナルから歩く

2月8日のこと、ちょっと経ってしまったけれど自分としては久しぶりに歩いた場所なので、Upしておく。

(羽田第一ターミナル)→(弁天橋)→(穴守稲荷神社)→京急蒲田→(大田区中央)→大森
20193歩

Eastt羽田空港を歩くのはニ度目だ。過去一回は蒲田方向から多摩川河口沿い歩いて空港に入り、モノレールに乗って帰った。今回は羽田第一ターミナル【写真1st】を出発して逆の進路をとる。
羽田空港からR357を北上して京浜島に入るルートもあるが、そこが歩けるか、まだ確認していない。敢えて、宿題を残しておく。

Hk_tnlターミナルを出て新整備場などを見学しつつ南下。そのまま行くと神奈川県へ伸びる多摩川トンネルだが、実はこちら、歩いて渡れない。高速道路専用のトンネルだからだ。しかし、分かれて西に向かう羽田空港トンネル【写真2nd】は歩ける。歩道も付いている。

多摩川河口。素晴らしい天気で気持ちがよい。東には海面のコブのように海ほたるが見え、西には富士山が見えていた。たまに頭上をモノレールがよぎり、おぉっという感じに見上げる。
Hyosiki羽田空港トンネルを歩いていたのは自分ひとりだけだったが、この辺【写真3rd】になると人を見かけた。少女二人が自転車で羽田空港の方に向かったが、まさか空港に用事ではあるまい。その前の新整備場か?

Heiwat天空橋に出る。海老取川が多摩川に合流するポイントだ。
こちらの鳥居【写真4th】、もとはこの後足を運んだ穴守稲荷神社【写真5th】のものであった。それが、今は生き別れ状態。

穴守稲荷神社は昔、海老川以東、旧町名で言うところの羽田穴守町にあった。現在では羽田空港のB滑走路周辺にあたる場所だ。それが、1945年8月の終戦直後、羽田空港拡張を理由に進駐軍に強制退去を命じられる。しかも48時間以内という時間制限付きであったそうだ。
Anminrj_21200世帯・3000人がこれに応じ(というよりは無理矢理に違いないが)、彼らが暮らした愛着ある土地は整地されてしまうことに……。
穴守稲荷神社は地元の信者有志らの奉仕により現在地、海老取川西側の羽田5丁目に移る。
が何故か、鳥居はぽつんと残されていた。進駐軍が去った後も……。時が経て1999年、B滑走路建設時に撤去されることになったが、元住民らの強い要望でこの地に移設された。移動距離800メートル、4日間かけて慎重に運んだという。
移設には空港関係者の協力があったそうだ。この鳥居は地域と空港の共生のシンボルでもある。

Taishib穴守稲荷を参拝してから南下して大師橋たもと。この辺【写真6th】は“羽田の渡し”があったところだ。
かつて多摩川には41ヶ所もの渡しがあったそうで、羽田の渡しは海にそそぐ前の最後の渡し場になる。

あとは気ままに北上。最初はJR蒲田でゴールとしようかと思ったが、興がのってひとつ先の大森まで歩くことに。
Kkykoj途中の京急蒲田駅では第一京浜R15の上に線路を渡す工事中【写真7th】。大がかりな工事だ。

東邦医大通り、JR線路と横断し、「赤毛のアン 記念館」へ。しかしその場所に行っても見当たらない。後日Webで調べたら、2008年6月から2009年夏まで休館とのこと。2008年が赤毛のアン原作出版100周年の記念の年であり、2008年6月の中旬から「赤毛のアン展」が全国各地を巡回するとのことで、休館というよりは資料ごと巡業中というのが正確な表現かも。
今年の秋には戻ってくるらしい。待ちましょうかね。

神社の強制移動、渡しの廃止と架橋、京急の線路工事もそうだが、街はどんどん変わる。けれどけれど、人の想いがその景観を残すこともある。天空橋の鳥居がまさしくその例だ。――変わらざるえないのだけれど、どこかに昔を留めている。
生活向上のため常に変わっていかなければならないという考え方も間違ってはいないだろうけれど。昔を偲ぶ、その気持ちも美しいと思う。

参考Webページ;

大田区の史跡と歴史・デジカメ散策

穴守稲荷神社

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犬も歩けば……

先日2月1日の散歩。前日の雨天・曇天から一転して晴天に恵まれたが、風の強い日だった。そんなこともあって、午前のみのショート・ウォークだ。

日暮里→(駒込富士)→千石→(南大塚公園)→向原→(P'Parco@池袋)
9299歩

Yuyakedandan日暮里駅を北口に出て西へ。夕焼けだんだん【写真1st】、谷中ぎんざ【写真2nd】。この辺は下町散歩のメインストリームだ。以前来たときは夕焼けだんだん写真右手のマンションが工事中だったような気がする。少なくとも花壇部分はフェンスになっていた。谷中ぎんざのゲートを撮った写真をよく見ると右手のマンションが“入居者募集中”だ。やはりこの辺のマンションは新物件なのだ。
Yanakag_gate_2高い建物が建つと夕焼けの光景が変わってしまいそうで心配だが、入居してみたい気もする。家賃や勤務先が検討事項となるけれど、この辺で暮らしてみれば、さぞ楽しかろう。

Yomisest_gate よみせ通り【写真3rd】で北上、不忍通りはスーパーマーケットの路地を入りさらに西へ。
地図を見ていて思い出したのだが、本駒込、本郷通りからすぐの所に富士塚があった。これと云った目的もないので、寄ってみることにした。

Kmgmfuji01駒込富士神社の富士塚【写真4th】。頂上部には“文政六***五月吉日”とも読める石碑があったりして、その古さに身がひきしまる。境内には立派な大樹もある【写真5th】。足下で遊ぶ子どもたちを大樹が優しく見守っているようにも見える。

Kmgmfuji02不忍通りの裏道を行く。ロシア正教会モスクワ総主教庁駐日ポドウォリエ【写真6th】がある通りだ。
Webで“ポドウォリエ”を引っかけると2008年9月にできた下目黒のものが出てくる。こちらは旧いものなのか。そもそも“ポドウ(ヴ)ォリエ”って何だ? 正教での“教会”のことなのか? 
Rosiacpウィキペディアによると『国外に居住する信徒の為に、その地域の教会の祝福を得た上でポドヴォリエが設けられ、その地域で用いられる言語とは別の言語を用いて奉神礼を行っているポドヴォリエもある』
とある。いわゆる教会とは違い、教派の駐在所みたいなものらしい。
ロシア語で「подворье」、英語では「Metochion」。
で、ひとつ気がついたこと。ここの十字架は、日本で一般的に見かけるキリスト教教会のものとは異なる。縦に走るラインの上部下部に短い横棒が一本ずつ追加されている。
キリスト教の宗派分裂なども、調べると面白いのだろうな……。

Ise5白山通りR17に出て北上、不忍通りを渡ったらすぐに西へ。千石本町通商店街である。この界隈ちょっと気になるお店があるのだが、まだNo-Checkだ。
やがて見えてくる伊勢五米店【写真6th】。こちら2007年放送の『出没!アド街ック天国』の解説を引用させてもらうと、『創業享保年間(1716~1735年)の蔵を伴った米店。徳川家の米商人として伊勢から上京したのが伝統の始まりで、"今井五郎右衛門"という名を八代続く現在まで受け継いでいます。国の登録文化財に指定されている建物は明治初期に改装。……(後略)』とある。
同じく「伊勢五」でも、谷中にあるのは伊勢屋五右衛門が興した酒屋さん。関係有りそうで無さそう。

Mnmotkpark_2 川越街道R254に出ないように北上。と、南大塚公園で都電車両を発見【写真7th】。みると「都電ものしり博物館」の看板が。“館”らしきものは見えない。露天だがここが博物“館”なのだ。ギャグがきいている。
それでも一応は博物館だ。写真右手側にちらりと見えるボードに詳細な路線図と解説があった。見ると、大塚から発し小石川の伝通院を経由して亀戸まで伸びる線があり、その路線がここら辺りを通っていたようだ。書かれている停留所も旧町名のようで、確かなことはちゃんと調べないと判らないけれど。
この“失われた都電を辿る”というのも大変面白い散歩テーマである。

あとは結局川越街道に出、池袋駅東南にあるP'Parcoでゴールとした。

1万歩満たない散歩なのに、谷中ぎんざにはじまり駒込富士、正教会ポドウォリエ、伊勢五に都電ものしり博物館と、結構充実した内容になった。
周囲のものをどれだけ敏感に感じ取れるか、散歩が面白くなるトリガーはそこにある。今回の例で言えば、ポドウォリエや都電ものしり博物館は、あらかじめの情報を持っていなかった。“犬も歩けば何とやら”で、謂わば当たった棒である。その時その棒にどれだけ興味が示せるか。子どものように好奇心旺盛で、全てのものに興味を持っていたいものである。

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ネパールからポーランドまで10ヵ国を巡る!?

過日1月17日(土)のこと。
尾山台→ほぼ[目黒通り]→[目黒不動尊前通り]→(新橋@目黒川)→(ギャラリー「Malle」@恵比寿4)
15980歩

イラストレーターの友人、加藤龍勇が恵比寿のギャラリーに出展するというので、観に行くつもりだった。で、そのギャラリーをゴールに散歩を決め込んだ。
今回、テーマを設けた。――久しぶりに“大使館巡り”でもするか!

目黒通り周辺の大使館を狙うことにする。
東急大井町線尾山台で降りたのが11:31。等々力から歩く手もあったが、ちょっと調べたら尾山台に美味しそうなレストランがあったので昼食を当てこみ、尾山台からのスタートとした。結構本格的なフレンチ仕様、およそ1時間のスローフードの後(レストラン記事は別立てにする)、やおら歩き出した。

歩いたルートをだらだらと書いても面白くなかろう。その大使館がどこにあるのか、詳細気になる方は――上記したルートをヒントに――自力で調べてもらうとして、とりあえず、巡った順番にその国を連ねてみる。

Nepalネパール【写真1st】

Rwandaルワンダ【写真2nd】

Zimbabweジンバブエ(大使公邸)【写真3rd】

これは大使館ではない。“AMBASSADOR'S RESIDENCE”ということは大使公邸。大使館まで通っているのだろうか? ジンバブエの大使館は白金台の首都高速2号線下辺りにあったはず。そちらで2頭の鹿(?)の可愛いエンブレムを撮ったことがあった。

Kenyaケニア【写真4th】

大使館をチェックしたときは記念にエンブレムを撮ることにしている、可能な限り。先のネパールとルワンダは見えるところにエンブレムがなかったのだ。

Kazakhstanカザフスタン【写真5th】

Bangladeshバングラディッシュ【写真6th】

大使館に掲げられているエンブレムは、大概がその国の紋章(国章)と同デザインである。
ここバングラディッシュ大使館に掲げられているエンブレムは国章をさらにデフォルメしたもので、よりシンプルなデザインになっている。

Djiboutiジブチ【7th】

エンブレムも表札もなし。ただ最上階に掲揚された国旗がたより。たぶん、ここがジブチ共和国大使館だ。

Kyrgyz_2キルギス【8th】

ウズペキスタン【写真失敗!】

Algeriaアルジェリア【9th】

建物の中央にエンブレムが彫られている。望遠が無かったので、エンブレムは綺麗に撮れず。

Poland ポーランド【10th】

以上10ヵ国("共和国"省略)。

さて、ここまで書いてきて、ふと疑問。

――日本のエンブレム/国章って?
国旗はご存じ“日の丸”。でも「国章」と言われると、ピンっとくる人は少ないのではなかろうか。自分もそう。パスポートの中央にある“菊”か? で、調べてみた。
日本の国章は法令上明確に定められてはいない。
天皇家の家紋、『十六弁八重表菊紋』(菊花紋章)が、国章に準じた扱いを受けている。パスポートの菊は『十六弁一重表菊紋』ということで、見た目そっくりだが、八重と一重で物が異なるのだそうだ。
また、国政府も紋章を持っていて、濃紺地に桐のシルエット――花札で見たようなヤツ――が浮かぶ『五七桐花紋』(桐紋)だ。こちらも、国章的に使用する場合があるそうだ。

ちなみに、フランスも定まった国章がないらしい。
けれど、フランス大使館にはそれらしいエンブレムが掲げられていた。2003年の話。大使公邸の勘違いかな?

恵比寿のギャラリー「Malle」に着いたのが、15:23。
『Color's 展』と称し、加藤龍勇の他、高田美苗、樋口裕子、ヨシカワゴエモン (いずいれも敬称略)らのアート作品を展示販売していた。友人加藤の作品を購入せずに、別の方の作品を買ってしまった。届き次第、こちらのブログでも紹介する(乞うご期待ということで)。

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吉祥寺→西新宿 2万歩超のぶ~らぶら

過日、1月10日のこと。
吉祥寺→(玉川上水)→三鷹台→[新田縁通り]→(大宮八幡神宮)→(本村橋@善福寺川)→(立正佼成会)→(十貫坂上@中野通り)→[けやき橋商店会]→(成子天神)→(VEROCE@西新宿7・小滝橋通り)
21589歩

Benzaiten吉祥寺駅を降りたのが10:50。この日は新宿まで歩こうかなということ以外、特に考えておらず、気ままにぶ~らぶらと流した。
駅南口を回遊し、井の頭恩賜公園へ。木々が池に映りこむ碧色の中、辨財天さんの朱色があざやかだ【写真1st】。今回お参りはぜず、公園南側から参道に出た。

「井の頭」の名付け親は徳川3代将軍家光らしい。鷹狩りに来ていたそうだ。井の頭池西側の"御殿山"という地名はその名残だとか。
家光はどの道を通ってこの井の頭まで来ていたのだろう。

五日市(現あきる野市)から建築資材を運ぶルートとして五日市街道があるのだが、武蔵野地域の新田が開墾されてから街道として発展したので(武蔵野新田開墾は4代将軍家綱の時代)、家光の鷹狩り遊山には五日市街道を使っていなかったであろう。
もちろん、井の頭通りも当時はない。境浄水場から和田堀給水所までの水道管施設道路が井の頭通りだから。

Douhyoそんな疑問を空転させながら、参道を下って行くと、鳥居があり、その横には道標があった【写真2nd】。
道標の解説板によると、神田上水が敷設された後、水がめである井の頭池に居る辨天様への信仰が盛んになり、参詣人が絶えず、甲州街道から高井戸、久我山を通る参道にこの道標が立ったらしい。
神田上水が通ったのは寛永年間(家光の時代)だ。家光後年の鷹狩りにはこの参道を使ったのではないかと思われる。
以上、たわいもない妄想。

――妄想、もうひとつ。
井の頭池の辨財天、もとはヒンドゥー教の女神"サラスヴァティ"である。インド最古の聖典リグヴェーダ(Rigveda、"veda"は聖典のこと。TVアニメ『ガンダムOO(ダブルオー)』では全てを統轄するスーパーコンピュータにこの名が冠されている)では、聖なる川サラスヴァティの化身、水を持つものの意であり、水と豊穣の女神。また、川の流れから転じて流れるもの――言葉・弁舌・音楽など――の女神ともなった。
原典を鑑みて、神田上水の水源、井の頭池の中に立つ辨財天は、まさにこれと合致している。インド→中国→日本と伝承伝来するなかで、神のイメージのブレのなさ。何かここに大きな畏怖を感じる。
描写される場合は、いつも水辺に描かれ、蓮華の上に座る姿や白鳥・孔雀に乗る姿で表される。白鳥、孔雀はサラスヴァティの乗り物なのだ。
井の頭恩賜公園のスワンボードに乗って優雅に遊ぶサラスヴァティを妄想する。よし、僕がボートを漕ごう。スワンボート・マイスターになるのだ。

辨財天参道を下って玉川上水に出ると、今度は上水づたいに宮下橋、そこから三鷹台商店会を北上。三鷹台駅そば「ライラック」で昼食(11:38~12:03、詳細別記事)。

この辺、三鷹市の資料として市管理のホームページ「三鷹ノスタルジー」が面白いのでリンクを貼っておく。

小平市玉川上水を守る会の「玉川上水事典」も貼っておこう。

この後、以前にも歩いた井の頭通りや五日市街道、方南通りなどを極力避けて、新宿めざし東へ。途中、大宮八幡宮。初詣客かな、賑わっていた。駐車スペースほぼ一杯。

Honmura_b善福寺川本村橋に出た。こちら護岸工事中。本村橋より川上が暗渠化されるがごとく綺麗にフタをされていたので驚く【写真3rd,柵の向こう、道路のように見える下に善福寺川が流れている】。今年平成21年2月20日までの工事予定。善福寺川は環状7号線下部でも調節池と取水施設が工事中。たぶん、予定の期日に工事は終わらないだろう。

Risyokose工事の関連で本村橋の川下、淀塚橋が通行できず、ルート選択に迷った。――と、ここで、ふと思いつく。
メール環境のトラブルからか、最近連絡が取れなくなってしまった友人のご実家が杉並区和田にあった。友人の現住所など確認できるやも知れぬ。訪ねてみることにした。

立正佼成会の大聖堂【写真4th】を撮って脇道へ。記憶違わず目的のご実家健在。しばし、友人お父様・お母様と昔話。僕のこと、思い出してくれたらしい。友人の現住所を確認。良かった良かった。

Tknhnheya東へ、新宿を目指す。
途中、貴乃花部屋【写真5th】。都内両国で初場所が始まったのだが、うら寂しい感じ。がんばれ貴乃花部屋。

杉並区を西から東へ横断する形になった。
マニアックなホームページ「杉並の歴史」を見つけたのでリンクを貼っておく。

このあと、神田川や西新宿周り、写真的はそこそこ見られそうなものもあるが話題が薄いので省略。

Naruko_fuji成子天神で富士塚に登れなかったことだけ、記しておこう。
最後の写真は境内横手の駐車場から撮ったもの。頂上に立つのは木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ ノ ミコト)像。
こちらの富士塚、都内第2位の高さを誇るものだが、大晦日から正月7日までしか登山が許されていないのだ。もうちょっと早く来ていれば登れたのに、毎年忘れる。来年こそは……。

15:08、新宿7丁目小滝橋通り沿いのカフェ"VEROCE"でゴール。

サラスヴァティ/弁天信仰→大宮八幡宮→立正佼成会→富士塚/富士信仰。
意図しない宗教・土着信仰からみの散歩で、2万歩超のぶ~らぶら。

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弾正橋に憑かれ、歩く

1月2日のこと。
なんともない初詣散歩のつもりだったのだ。

ここ最近の散歩初めは深川富岡八幡を詣でた後、南下して佃島の住吉神社を経由、興がのれば築地,新橋を越えて愛宕山の愛宕神社までという道のり。しかし、昨年末佃島に行たばかりだし、開いていれば銀座の伊東屋で買い物がしたかったから、三社巡るのはやめにし、首都高深川線下を歩き、徒歩で渡ったことのなかった隅田川大橋を渡り、八丁堀に出たら鍛冶橋通りを京橋まで行き、あとは下って銀座。ってルートをあらかじめ決めていた。

Htm_brg_2詣で客の混雑を避け、早め10:32に門前仲町駅に。直ぐに八幡様に手を合わせて、毎年行く中華そば屋に向かうも、早すぎて開いていない。準備中のスタッフさんに訊いたら開店は11:30だという。幾度か来てい、ちょっとは知ったつもりになっている八幡宮周辺を巡り時間をつぶすことにした。
人道橋があったはず。あらためて写真に撮っておこうとと思った。

Tokyoshi_hi朱色鮮やかな橋が人道橋の八幡橋。八幡掘遊歩道に架かる八幡様の横参道的位置にある橋だ。
「東京市」名義の解説碑があった(つまりは碑自体が貴重価値のある古さ)。
この橋は1878(明治11)年、日本製の鉄を使用して造られた初めての鉄橋で、国の重要文化財である。しかも米国人 Squire Whipple氏の特許に基づく形状であることから、
国内初、米国土木学会の「栄誉賞」を送られたものだとのこと。
江東区教育委員会の詳細な解説板もあった。
この橋はもともとは京橋区(中央区)の楓川にかけられていた弾正橋を移動したもの。製造は上記のとおり1878年だが、1913(大正2)年の市区改正により新しい弾正橋が架けられ、元弾正橋と改称された後、関東大震災後の帝都復興計画の折廃橋となり、1929(昭和4)年にこの地に移されたとあった。
この時、まだ全然気づいていなかった。この日定めたルートに現弾正橋が含まれていることを。

Danjyo_brg僕は予定していたルートを歩いて、鍛冶橋通りに入り京橋に向かった。で、首都高環状線が頭上を塞いだとき、そこが弾正橋だった。楓川はここに流れていたのだ。

ご丁寧に(散歩にオチを付けるがごとく)ここにも解説板があった。
江戸寛永(1624~43)年間にすでに楓川上に弾正橋は架橋されていた。弾正橋は当時交差していた堀川上の真福寺橋・白魚橋とともに“コ”の字を形成しており、江戸名所図会に「三ツ橋」として残るほどの名所であったとある。
帰宅してから調べたら、楓川は「もみじかわ」と読み、日本橋川の兜町付近(現在の江戸橋ジャンクション付近)から分流し、京橋川・桜川合流地点(現在の京橋ジャンクション付近)に至る堀であったとのこと。現在は首都高速道路都心環状線にその姿を変えている。
また、桜川はこの楓川・京橋川と亀島川を連絡する水路/堀であり現在は鍛冶橋通りの一部。八丁堀とは、八丁の長さを有する桜川の別名だ。白魚橋から外堀までが京橋川だ。

Mmjl_prk斯様に、失われた河川・堀そして橋が、この東京の地に潜んでいる。まるで地霊のように。

この日、僕は弾正橋の「楓川を見たい」という想いを背に歩いたのかな? なんて思う。
楓川はなくなって、車の流れる道路になっちゃっていたよ。何かが流れ行くのが川ならば、そう、これも川と云えなくなくもないけれど。

門前仲町→[首都高深川線]→(港橋)→八丁堀→京橋→銀座一丁目

10951歩。

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雪が谷大塚→緑が丘→(円融寺@碑文谷)→(祐天寺)→代官山→渋谷

12月23日の徘徊記録

14192歩,531kcal

祝日だと云うのに、いつもと同じ時刻に目が覚めた。前日は体調を崩して凹んでいたのだが、スカッと晴れそうな気配に、堪え切れなくなって飛び出した。

ここ2~3年歩いていない隙間をぬって歩く。取りこぼしだらけで有名スポットをGetしていないこともある。さらに、2008年の歩き納めになるやも知れぬ。
天気が良い日には、外に出て歩いて、食べるのだ。

呑川を歩く。
東急池上線雪が谷大塚駅で降りる。中原通りから脇に入り北上。
呑川は河口近く、京急蒲田駅夫婦橋を過ぎたあたりからボートも増えて趣が倍増するが、ここらあたりだと、景観的に特出するものがない……。っと思いきや、これはどうだろう。

Nomil東京には流れを地下に押し込められて、上を緑道化された川が少なくない。呑川もそんな河川のひとつだ。
“失われた河川を歩く”これは単たる緑道散歩ではなく時代の層/積み重ねを夢想して歩く、ちょっと高度な散歩のHow-toなのである。
河口から辿ると、呑川は東急大井町線緑が丘駅南で地下にもぐり、支流は駒沢オリンピック公園に飲み込まれ、本流はその駒沢オリンピック公園西呑川橋交差点で再び水面を見せた途端、またもや地下に消える。どうやら東急田園都市線桜新町駅あたりを水源とするらしいが……。

写真はその姿を消す瞬間、緑が丘駅南の黒いカーテンに隠された呑川だ。
アダルトビデオのモザイクのように無粋な黒カーテンを呪う。

呑川の夢想をそこそこに、次の目的地、北千束の清水窪弁財天に向かう。この日は地域の人々だろうか、総出で掃除をしていた。年末だからか? お邪魔して写真は撮ったのだけれど、Upは気が引けるのでナシ。

Enyutpさて次が今回の散歩の目玉。円融寺。
こちら境内には仁王門が都指定文化財であったり、目黒区指定文化財、国重要美術品がごろごろしているのだが、これは絶対に押さえるべし。
写真ふたつ目、円融寺釈迦堂。室町時代初期に建てられた物である。
室町時代! 23区内で最も古い木造建築物と言われている。国指定重要文化財である。
――いいのか? こんなに無防備で。正直そう思った。

Yutentpg_2さて、次のポイントは円融寺よりネームバリュー絶大の祐天寺。
しかし、こちらは免震保全工事とやらで本堂周辺が塀で覆われていていて近づけない。写真撮影などできやしない! しかも再来年平成22年3月いっぱいまでだと。
憤りやるせなく、逆行の仁王門を撮る。

実はここ祐天寺近くで食事処を定めていたのだが、祝日のせいかランチがClose。祐天寺から連打のワン・ツー。ふらふらの状態で昼食を物色する放浪の散歩と化した。

Mgrltwそのまま駒沢通りを行けば良かったのかも知れないが、中目黒3丁目の八幡神社を訪ねたかたので南に折れた。中目黒駅あたりでの昼食をあてにして山手通り北上の目もあったが、渡って目黒川。
そうそう、目黒川沿いにまたもや高層マンション(?)が建つらしい。オレンジ色の円柱が新たなランドマークになるのかな?

途中、食べ物屋さんが無いわけではなかったが、結局、当初から予定していたルートの代官山でCafeメシにありついた。これは別記事で。

Skrgok最後の写真はJR線路沿い。壁のアートが面白い。

円融寺、室町時代から残る建築物もあれば、目黒川横に大型クレーンが新たな建築物をこれみよがしに積んでいて、人の業の深さに驚く。
川を地中に埋めちゃったりね。
――いや、これらを否定するわけではない。
時の流れである。
“良き変化”か“悪しき変化”かは、その時には見分けが付かない。
すべては“良き変化”になるべく努力すべきだし、“悪しき変化”も糧として呑みこんでいかなければいけない。

――おいおい。単なる“散歩”で、そこまで考える?

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東銀座→新富町→(中央大橋)→(佃公園)→月島

過日12月20日の徘徊記録

2572歩,195kcal

この日はショートコース。でもこの程度の道程がいわゆる「散歩」として誰もが思い浮かべる距離の上限かも知れない。

Kabukizaまずは歌舞伎座。写真撮影の定番。
1945年の大空襲で全焼し、ここにあるのは1950(昭和25)年に竣工されたもの。2002年に国の登録有形文化財に登録されている。設計吉田五十八、施工清水建設。2010年には老朽化による建て替えのため一時閉館が予定されているらしい。

歌舞伎座の横の路地に入り、マガジンハウス社を横目に北上。
新富町をぶらつき、沖縄料理屋さんを見つけて昼食、っとこれはまた別記事で。

Fujituka 鉄砲洲稲荷神社を訪ねた。2枚目の写真は境内にある中央区唯一といわれる富士塚。中央区の区民文化財だ。社殿や社務所も古い造りを窺わせる。案内板によると関東大震災後、1935(昭和10)年に復興整備されたとあるので、上記歌舞伎座より一回り以上年上ということになる。

Stkb_sview3枚目の写真は亀島川にかかる新高橋から南の高橋方向を撮ったもの。江戸切絵図では高橋はあっても新高橋はない。この辺はかつての海岸線。鍛冶橋通り以南は松平越前守の領地。お偉いさんの庭では八丁堀の旦那衆が遊びに釣竿を垂れることもなかったか。

Choobさて、中央大橋を渡る。
1993年(結構新しい。レインボーブリッジもこの年)竣工。
今はご覧のとおり塗装工事中(写真4枚目)。工事は来年3月まで続くそう。綺麗になったらまた見に来よう。工事費14692万円。

佃島に入る。
佃島の東西河岸は公園とされて整備されている。西が隅田川で佃公園、東が石川島公園。今回は西側を行く。中央大橋の袂から西側に折れた。

Smyscb写真5枚目は佃公園から南にかかる住吉小橋、人道橋だ。これをわたって少し行くと、佃島船渡跡がある。ここは散歩のポイント。佃島には1964(昭和39)年に佃大橋ができるまで橋がかかっていなかった。江戸時代は石川島の人足寄場に収監される者たち、また更生し出て行く者たちを運んだ船渡であり、その後戦後をへて昭和半ばまで、貴重な物流線であったに違いない。意味深い船渡だ。

佃島風情香る店先でアイドル系(?)少女を使って取材ロケ中だった。何の撮影なのか気になったが、群がって邪魔になっても悪いので先を急いだ。

Tkdcb_2で、最後の写真が佃小橋からみた高層マンション群。この佃小橋の下には1798(寛政10、人足寄場が出来てから8年目)年、徳川幕府より建立を許された大幟の柱などが埋設されているそう。ここから平成の都市再開発の代表格であり、かつての石川島造船所跡、さらに昔には人足寄場であった場所に屹立するいくつもの高層建築物をみると不思議な気持ちになる。あの高さは歴史の積み重なりを現したものなのだろうか。

佃島の海岸線はこの佃小橋辺りであったらしい。近くに波除稲荷神社があって、それを偲ばせる。

今回は歌舞伎座をスタートに時代小説の舞台として知られる八丁堀をかすめて、人足寄場を遠目に眺めるルート。短いけれども深い散歩だった。
佃島は“小橋”を巡るべし。

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駒込→熊野前→町屋→(千住大橋)→(千住新橋)→(江北橋)→(豊島橋)→赤羽

過日12月6日の徘徊記録

27267歩,1023kcal

あのトンカツを食べに行こう、と云うことと、日光街道を歩こう、と漠然と思っていた程度で、あとは風の向くまま気の向くままぶらぶらしたら、27000歩を超えるロングウォークになっていた。

Satuki_st 駒込駅東口から北に伸びる商店街を「駒込さつき通り」を抜けたのが午前11時過ぎ。旧古川庭園を眺めてみるか、とチラとも思わず上中里駅方向へ。地図を見れば一目瞭然だが、JR田端操車場と尾久操車場が広々と横たわるこのエリアを渡り東へ抜けるルートは結構限られている。

瀧野川女子学園そばの新幹線高架下をくぐり他地上線路を跨ぐ車坂跨線橋を渡って尾久操車場。『関係者以外立ち入り禁止』的札が見えはしたが手招くように門扉が開いていたので、ちょこっとおじゃまして尾久操車場の写真を撮った。

Oku_ssj 尾久操車場北西の踏切を渡り、明治通りを渡り、都電荒川線は渡らずに東へ。目当てのトンカツ屋さんは都電宮ノ前停留所から女子医大通りを下った所にある。店に入ったのがほぼ12時ジャスト、出たのが12時22分。(こちらは別記事に)
さて、これから日光街道に出るぞ。

Toneri_l_2 尾久橋通り上の日暮里・舎人ライナー。操業し始めてまだ8ヶ月とはいえ、軌道が架かってからとなるともはや2年近くなるか。変化した景観に馴染み始めたかな?
熊野前駅南側の歩道橋から逆行気味の日暮里・舎人ライナーを撮ってみた。

再び都電荒川線と合流し、都電と併走するかたちで町屋。そこからは京成本線下を歩いて墨田川に。素盞雄神社を参拝し(って賽銭あげてないけど)日光街道にでた。

Kouhoku_brg_3 さて日光街道を北上。千住大橋、千住新橋と渡って、この日フリーマーケットでにぎわう「ゆめロード千代田商店街」に入りって西へ。まぁ、言ってみれば帰路に入った感じ。
足立区梅田・本木を突っ切り、日暮里・舎人ライナーは扇大橋駅で再び交差(この辺、新しくて地図に載っていない道を歩いた)。
3時半ごろ、日が傾き良い感じに逆行になった江北橋を撮った。

Tombo さらに豊島橋を渡たる。眩しいなぁ、と思ったらガラス張りのトンボ鉛筆本社ビル。こんなスタイリッシュな社屋からは想像つかないかも知れにけないけれど、トンボ鉛筆は大正2年創業の老舗である。

新田橋南袂から隅田川のテラスに出た。最後の写真は水上バス乗り場附近から新神谷橋を望んだ、暮れなずむ隅田川の風景である。
この後国道122号を渡り北上、赤羽駅でゴールとした。16:44。

Newkamiya_brg 寒い季節、夜景も美しいけれど、逆行に浮かんだシルエットとか、夕日に染まる町並みとか、夕方の時間帯も美しい。ロングウォークになたけれども、街の素敵な横顔が見れたようで、うれしかった。

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押上→稲荷町→(湯島天神)→水道橋

過日11月1日の徘徊記録

15000歩,500kcal (←万歩計忘れ。推測値)

Osiage00 次回に続き下町エリアからスタート。新東京タワーあらため“東京スカイツリー”建設予定地墨田区押上。今年7月に安全祈願祭および起工式典を済ませ工事着工となった。さすがにまだタワーの足すら見えていない状態だが、これから「川向う」のこの地が、東京で一番ホットなエリアになっていくんだろうな、と感慨にふけ、押上通り商店街のゲートを記念に撮った。
Sakura_b 浅草に向かう。言問橋にするか吾妻橋にするか、迷って結局、人道橋「桜橋」で台東区に入った(写真ふたつ目)。

腹が減ってきて食事処を探しながらの迷走ならぬ迷歩。言問通り西浅草3丁目交差点を南下。明治後期から大正の関東大震災までの間、この浅草の地に東京のシンボルタワーがあったことを最近勉強した。凌雲閣という。浅草十二階とも呼ばれ初めて電動式のエレベータが導入された建築物と聞く。たぶんこの辺からはその雄姿が迫るように見えたに違いない。ちなみに凌雲閣の高さが52m、東京タワーが333m、東京スカイツリーが610m。
浅草ビューホテルを過ぎて路地に入ったら、美味しそうな中華屋さん「いい田」を見つけたのでそこで昼食。こちらは別記事に。

Kawatro_2 かつての仕事場、かっぱ橋にやって来た。その当時には居なかったが、今はかっぱ河太郎(写真3)が通りを監視している。こわっ(lll゚Д゚)

Djk_ap 河太郎に挨拶したら東上野5丁目へ。今回の散歩の目玉がそこにある。
上野下アパートである(写真4)。関東大震災の復興事業として東京に12ヵ所、横浜に2ヵ所建てられた同潤会アパートの生き残り。あと三ノ輪にも残っているのだがそちらは建て替えが決定している。今でも現役バリバリなアパートとして健在なのは上野下アパートのみと言える。
なんか凌雲閣と上野下アパート、関東大震災当時の帝都東京を偲びつつ、スカイツリーの610mを夢想する変な散歩だ。

Omen アメ横をさらっと突っ切り湯島天神に来た。菊祭りが始まったばかり。ちょっとは菊も撮ったけれど、お面がきれいに撮れたので写真5。

Dom_h 最後の写真は後楽園パラシュートタワー(?正式名称知らず)ナメの東京ドームホテル。シャッターの瞬間に自転車が横切ってくれ、画が締まった。
御茶ノ水駅でゴール。
いやぁ、徘徊日和。空の蒼がきれいに撮れた。

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東大島→(砂町銀座)→木場→辰巳

15351歩,503kcal

Bansyo_b

次回の東京シティガイド検定の主な出題範囲は下町エリアからということで、江東区、気になっていたポイントを絡めて歩いてきた。

まずは小名木川最下流の橋、番所橋。その名の通り船番所があったところで、いまは江東区がこの橋の袂に「中川船番所資料館」を建て、江戸水運の詳細な資料を展示している。こちらの資料館に今回初めてお邪魔したが、とても面白い。水の都江戸を実感できる数々の資料群の他、江戸竿についての階もあって、釣好きの方にも興味尽きない資料館になっている。
見学しているといくら時間があっても足りないので、資料集を買い求め退出、散歩再開。

次には砂町銀座のゲートをUpしたいところなのだが、mixiサイトでやってしまっている。こちらのブログでmixiのあのヴォリュームの画像集をどうフォローしていこうか、思案中。
砂町銀座で昼食となったのだが、それは別記事に。

Ooed_hs 気になるスポット、その2。地図を眺めていたら目にとまった「大江戸高校」。何、このネーミング。東京シティガイド検定合格を祈願して参拝しておこうか、って神社じゃないけれど。
かつては都立化学工業高校があった土地らしいが。それにしても大胆なネーミング、付けた者勝ちかね。

Tzl_sk 南下して人道橋「しおかぜ橋」を目指す。その直前に写真3つめ、メトロ東西線の車両基地。車両は東陽町駅を過ぎて明治通りを西沿いにUターンする形でこちらの基地に入る。
地下鉄各線にこういった基地があるのだが、「地下鉄ってどこから地下に入れるんでしょうね?」ってギャグが懐かしい。

Dss_wgs 汐見運河や東雲東運河の写真をたくさん撮ったのだが、今回は割愛。
最後の写真は『踊る大捜査線』で湾岸署として使われたビル。いかりや長助さんが亡くなったとき以来の参拝(ってお寺じゃなし)。

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